(2001.03.01付、毎日新聞の夕刊「ビジネス ひと 生き方」面の「燃えています」欄より)
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(以下、毎日新聞より〜)
 建設関連の電気工事と鉄道などの電化工事を柱に成長した八千代電設工業。交通関係ではJRの新幹線から新交通システムまで在阪唯一の大手として参画し、建築関連も関西国際空港など大型施設を手がけた。創業者の方針を受け継ぎ、無借金のキャッシュフロー経営を誇る同社。国語教師から転身した異色社長は建設業界の業績が好転しない中、社会の新しいニーズにこたえる仕事をと訴える。
※記者との一問一答を全文掲載します。
記者 ――最初はどんな仕事を。
岩橋 社長  わが社の仕事は、鉄道電化工事などの交通関係と建築関連の電気工事の2本柱です。創業者(義父の故梶本秀尾氏)は旧鉄道省の技師でした。終戦直後の交通網の復旧工事が当初の仕事の始まりでした。
記者 ――1952年の東海道線電化工事に参画してますね。
岩橋 社長  浜松―名古屋間などを担当しました。会社にとっても記念に残る仕事でした。その後、東海道新幹線の大垣(岐阜県)―野洲(滋賀県)間の工事を受注し、以後、すべての新幹線の工事にかかわるようになりました。いまも、東北新幹線の延長路線の工事をしています。また、大阪市営など地下鉄の工事にもかかわり、国内の全部の地下鉄工事に参画しています。さらに、その地下鉄の仕事の延長線上にあるものはモノレールや新交通システムです。具体的には大阪モノレールや新交通の大阪ニュートラム、東京のゆりかもめなどを手がけ、いまは沖縄のモノレールを担当しています。ほかに、京阪電気鉄道などの私鉄の鉄道工事も手がけています。
記者 ――鉄道の電化はすでにヤマを越えた?
岩橋 社長  そうですね。JRは旧国鉄時代に主要路線の電化を終えました。その一方で、モノレールや新交通システムなどのような新しい仕事も出てきましたが、今は新線建設工事以外は、架線の改良とかメンテナンスが中心ですね。メンテナンスは主に終電の通過後にするわけで、縁の下の力持ち的な仕事になります。
記者 ――建築関連の電気工事の方は。
岩橋 社長  売上高でいえば、こちらのほうがメーンです。建築関係が全体の3分の2、あとの3分の1が交通関係になっています。建築関連の電気工事というのは、ビルの電気室などで受電した後、照明からコンセントにいたるまでの内線工事のことをいいます。放送設備、火災報知機、電気時計などを動かしたり、使えるようにすることも含まれます。工事は普通、民間のビルや工場の場合、ゼネコンへ一括発注されることが多く、官公庁の場合は直接発注する分離方式が多くなっています。
記者 ――建設業界の一分野ということに。
岩橋 社長  そうです。建設業界の一員として、日本の経済成長に合わせて仕事が増えていった面はありますね。戦後、電気工事業者は数多く生まれ、かまぼこの木の端くれのようなものに「電気工事承ります」と書かれたものが街のあちこちにぶら下がっていたようです。でも、業界でいまも残っているのは数社です。わが社が残れたのは、創業者が堅実経営に努め、利益を蓄積したことが大きかったんです。いまはキャッシュフローの時代といわれますが、社内留保があって無借金経営でいけるのも、創業者の方針が正解だったからだと思っています。
記者 ――建築関係の電気工事で大きな仕事は。
岩橋 社長  関西でこの業界が拡大のきっかけをつかんだのは、やはり70年の万博でしょうか。たくさんのパビリオンなどの工事を、それこそ業界全体が必死になって取り組んだものです。わが社では、最近では関西国際空港のターミナルビルの電気設備工事です。変わった工事では4年前の大阪・天保山の観覧車イルミネーションがあります。日本ではじめて時間や天気を表示する観覧車として話題になりました。
記者 ――IT(情報技術)化時代の建物は。
岩橋 社長  電気工事は大別して、わが社のような強電とコンピューターなどの弱電の世界に分かれます。IT関係はどちらかといえば弱電の分野ですが、最近はこの境界もあいまいになり、うちもIT関係の電気工事に参入しています。
記者 ――今後の仕事の展開は。
岩橋 社長  電気工事業者は建設業界の一員ですし、今後の仕事量は増えそうにありません。そのような中で、今後は情報、環境、安全など社会の多様なニーズに応えるような仕事をしたいと思っています。交通関係も、淡路島の農業公園で始めた無人のバスシステムや、工事費が大幅に低減できる中軽量型モノレールなど新しい交通システムに参画し、挑戦していきたいですね。
以上